店長のお散歩日記

198

ヘンな娘さんが今日、海文舎へ見えました。

「これ古着なの!で、ボタンがないの~~」良く言えば栴檀の花の色の洒落たコートを羽織って。。

いきなりのパンチ!!しかし、ぬけめなくおしゃれだ!100円のコートを1,000円に変身させる何かが。。

この方、川柳豆本の表紙の布地を自分で切る!と言ってきかないので、じゃ、好きなようにせい!と。。

夕方5時ごろまであぁあでもないこうでもないとmy鋏で ちょゅきちょっき と。

その後、二人で、近くの豪華ホテルのレストランで食事としゃれるが。。。、

「ハンバーグ定食二つ!。」税込み1,000円の代物です。

ご飯が。。。ご飯が。。。幾らなんでも。。。大府で働いてた時の寮のご飯と同じ!!!

炊いてはいない!蒸してるご飯!

軽く茶碗を2,3回振り色をつけると三色団子になるような。。。

二人の米の値上がりの話しの中に「タイ米。。。細いかったね。。。」などの単語を混ぜて話していたら

カウンター奥の運び役の二人には、ご飯の悪口を言われてる様な仕草を見せていた。

ヘンな娘さんは背中越しで気がついてない。

でも二人とも、わぁわぁ云いながらペロリとたいあげてしまいにこり。

楽しく食べてる時に京都精華町の娘さんがグイグイ割り込んできました。

帰って観ると、くそ~~~負けてる!!


↑これは許せる!


↑これは許せない!!(笑)


yamatoのブログ様 この前、そ~~と覗いたら、ズボンシタのゴムを自分で入れてました(涙涙)

今夜のおかずは「土筆」かも?



嗚呼。。。皆様生きてらっしゃる!

雛祭り人形!見に行くぞ~~~
海文舎
 ひのさま

藤色の春コート翻しつつ、裁ち鋏携えて向こうております、よ。

去年、天草に参った折に、五和町から船に乗って、イルカ会いにゆきました。ぴょんぴょんと船に付いて来てくれます。けなげでいとおしいです。かしこいこのこらをgyoraiにしようとしたひとびとも、その末裔も、海にはおりませんね。わたくしめの見たイルカさんたちは幼きひのさまがごらんになられていたイルカさんたちの末裔でありんしょう。

蛸取り名人でらっしゃいましたか。このところ明石だこは不漁です。原因のひとつと言われているのが栄養となる海水塩の不足ださうで、こんどは天草の藻塩ごともろうてきて海に撒くとかいいだすのでせうか。

イワシにオビキ橙。オビキ橙がわかりんせん。また教えてくんなんし。
イワシといえばみちのく仙台にくらした折、国分町という市内一の飲食店街に「いわしや」といふいわしいわしした店があり、わしわししんせんいわしばかりを食しんしたが、海辺からポケットに入れて直送には勝てん思います。

海文舎。京は伏見にこの名でかいしゃかまえておられるはひのさま体内水は八代と東シナの海水半分ずつで構成されとるいうことでありんすね。

かみさまのかみ、と、ペーパーなかみは、おそらくつながっておるのだと思うております。以前、出雲で三椏の栽培をしているおじじさまを撮影、取材した方の本の書評なるものを書かせていただいたことがありんした。その時に結びとして、おじじさまのお仕事をなんとのう「かみのしごと」と記しました。
そうしましたら著者の方から、おじじさまのおうちの屋号は「神屋」です、とのおたよりが届きました。

目に見えぬことサイエンスの外のことを感じることのできる感性でなにかこの世のたいせつなほんとうのかけらを摑んでことのはを紡ぎたいと思うております。それができておるのか否かは知りませんし、できておると思う傲慢も許されますまいでありんす。

ただ、なにかにをかみにきざみ届ける印刷といふお仕事も、携わるひとの心もち心ばえひとつで邪悪にもかみさまごとにもなるのだとへん結壽女はちりめんじゃこほどののーみそでひそかに思うております。

きょうは銭湯にゆく気満々で、着替えとタオルを持って来んした、よ。

深草のかのしずかなまちに緋毛氈など敷いとるとかわりもんとして町内でいぢめられてもお気の毒でありんす。緋毛氈でのうて、豆本になるかぁいい布をさがしてくんなんし。

           茉莉亜まり



私が22才の頃、トミソーヤーの冒険 の実写版がテレビ放映されました。

流れた期間は僅かでした。

知ってる人は殆どいないでしょね。

チャリープライドが歌う、主題歌の「リバーソング」が心に沁みました。

何年もの間、山科の親父の家のステレオ棚に置きっぱなしでした。

2009年に心臓の手術をしてリハビリの為に2011年から

坪郷佳英子さんの追っ掛けをしました。

NHK「歌の日曜散歩」のリクエストコーナーで採用されラジオで一度流れました。

レコードは直接NHKに送りました。

我が家にはレコードプレイヤーが無いのです。

今夜、YUOTUBEで探しましたがイントロしか聴けませんでした。

ギターの音色とチャーリーの声がはもりいいのです。


今日は手術1ヶ前の面談がありました。

トムソーヤーの冒険が聴きたくなりました。

Mさん宅の雛人形も見にいきたいなぁ。
海文舎
 火ノ浦久雄さま

かの金魚田の町で、ご親友を
破滅に追い込まれた?と。。。
なにをもって人の破滅といふのか、
どうなると人生は破綻なのか。。。
なにやらかなしひことがおありだった
のですね。
ご友人の名誉にもかかわられましょう
から、お荷物をすこしおろしたくなられ
ましたなら、お散歩途中、オフレコ、守秘義務厳守でお伺いいたしますので、ね。

あらあら、えらくまともちっく、になりましたが、ふと、ふあんになったのでありんす。こんなあんぽんたんなことばかり書いておるへんむすめの本なんぞ、だあれも
求めてくれなければどうしましょう、海を
泳ぎ渡りて、牛深まで蛸狩りにゆかねばならぬのでは?、と。

そこで一計案じ、おととしまで13年ほど
編集に携わっておりまして、いまは
いち書き手となりました川柳誌
の誌上連載から、おもしろうない一篇と
それに添えた金魚川柳一句をお届けしようと思い立ちました。いうときますけれど、
ひのさま、笑えません、からね。




「金魚仙人」

全国金魚選手権が行われる奈良県大和郡山市。娘がはじめてのひとり暮らしをはじめたのが近鉄郡山駅から南東に歩いて5分ほどの東岡町のワンルームの三階だった。南のベランダに出ると金魚田が拡がり、その間を近鉄電車が行き来する景色を親子ともども気に入った。ひとり暮らしの機会がなかった私は娘ひとりのための無駄のない空間と、高い建物もない広い空の下、田んぼで金魚がのどかに育つこの町がとても気に入った。幸い娘が合鍵をくれ、京都や大阪に出る便があると自宅に戻らず、小一時間で帰ることのできる金魚の町へ帰った。
今はしずかな城下町。アパートの南側は夜になるとほどよい闇となる。ベランダから200メートルほど先、南北に走る近鉄電車の線路は小高い丘を越える。闇の中、往来の電車が丘を登ったり下ったりする様は浮遊感を伴い、その様は銀河鉄道さながら。月など出ていればなおよし。娘が不在の時には家事雑事に追い回される自宅での日常を忘れ、ひとりだという感覚を存分に感じた。
かつて東岡町は明治政府公認の遊廓街だった。途中の経過は省くが、売春禁止法後も旅館・スタンドなどの看板を揚げ営業を続けていたという。平成元年にいわゆるフィリピンからのじゃぱゆきさんを劣悪な環境で働かせていたことで警察もついに一斉検挙となり、遊郭は消えた。建物は残っており、娘の住むアパートの通りを隔てて真北も三階建ての元遊廓。不動産屋に物件を案内された時に娘は勿論私もいきさつを全く知らなかった。後々になって庶民向けの遊廓街だった東岡町だったと知った。隣町洞泉寺町の上客向けだった豪奢な遊廓の建物は市が買い取って町家物語館として公開している。1983年当時の住宅地図にある娘のアパートのお向かいは「ホテル玉晴」。私が帰りたくなる町は欲望の町から犯罪の町となってのちに閑かになった町だった。

娘はそこに4年暮らした。向かいの三階建て石造りの少々趣のある建物ついて訊ねられたら教えようと思っていたが、なぜか最後まで訊かれることはなかった。
娘のところに泊ると翌朝の散歩が楽しみだった。南に歩けば右に左に金魚田。田の深さは40~80㎝ほど。春先には数ミリの稚魚がプランクトンのように泳いでいるが水は案外濁っていてその姿は見えないことも多い。これが成長すると金魚すくいの水槽にいる定番の赤や出目金の黒、少し大きくなって少しおたかそうなぶちなどが各田んぼで濁った水にも透けるようになる。

近鉄の線路と並行に150メートルほど南に進んで最初の踏切を西へ渡る。金魚田の畦道をさらに進む。畦道の右手は金魚田用路の小川で、時に脱走金魚の赤が過る。ほどなく左手に田んぼで育つよりもお高そうな金魚たちの飼育販売を手掛ける金魚資料館が現れる。ここの金魚は水を循環させた水槽で育つ箱入りたち。昼間行くと中を無料で見学でき、屋内では江戸時代のもの含め金魚に関する資料なども見ることができる。

館を過ぎると左手が金魚田、右側が籔になってき、やがてアスファルトの太い道に出る。アスファルトの道に出ても四方金魚田。ここを北へ折れ、線路の西側を通って郡山城址へ抜けるのがお決まりのコースになったが、散歩のメインはやはり金魚。

金魚田に惚れた最初の年の夏の朝散歩。線路を越えてすぐあたりの北側の田んぼの端で田の世話の合間に男性二人が話していた。
「去年はぎょうさん死んだなあ。」
「ああ、死んだ。よっぽど好きでないとできへんで。」
田んぼ一枚、病気でも発生すれば
たちまち、ということなのだろう。
お気楽に散歩を楽しんでいる私は
その厳しさにはっとして俯いた。

金魚の世話をしている人で印象
に残っている人が一人。資料館を越えてアスファルトの道へ出たところ、道の南東の一角のかなり広い区画に餌をやって回っているすこし腰の曲がったちいさなおじいさんがいた。一メートルほどの柄のついた網に粉末の餌を入れ、畦を歩きながらた~んた~んた~ん、と一定のリズムで柄をゆすって田んぼに餌を撒いてゆく。そのしずかになにかを達観したような様に出くわすと拝みたいような気持となり、そっと足を止めて見入った。

朝、金魚田のあたりはあまり人気がない。足を止めた何度目かのとき、おじいさんが「なんやときにじぃっと見みとる人やな」と思ったか、こちらを見て

「これ、やりまへんか? 
いまやる人がすくのうなってるさかい、市も援助してくれまっせ。土地もぎょうさんあいているし」

と言った。一瞬、言葉に詰まった。

「金魚かわいいかわいい言うてるだけで根性がないんで、とてもできません。すみません。。。」

こうべを垂れた。
わたしの弱くて脆くかっこ悪いなにか
を見透かされたのだと思った。

その後もおじいさんのた~んた~んた~んを見かけた。
話しかけられることは二度となかった。

 冬のさ中。盆地奈良の朝は凍てる。宵越しの金魚田には氷が張り、その下に赤や黒が透ける。


     いっときの賛歌まるごと金魚鉢
                     まり


    (『現代川柳』2025年1月号
     連載「とわの窓辺」より
「金魚仙人」改訂版)


といふことで、えっと、ちじめんじゃこの鳴くような声で申しますと、金魚が育つのは畑、ではなく、田んぼ、で
ありんす、よ。。。

 へんぢゃないところもちょこっとは
あるらしい無叟女茉莉亜まり

         
綿菓子を千切ってまいた様な雪が降りました。

久し振りに雪らしい雪をみました。

それまで立ち寄る事のなかった海外のお客様が日本の雪にのぼせたのか

僅かな買い物をしてくださいました。

ヤフオクの発送に時間が掛かりました。

13時に投函できました。

昼寝をします。

「久しゃの行った後にはタコはいっちょもおらん!」

私の鹿児島・長島でのあだ名は「タコとり名人」でした。

学校から戻ると家から100m程の近くの海へ一目散の日々でした。

貧しい家の家計に。。。いやいや、そうではなく、蛸とりは面白いのです。


またトンでもなく長くなりそうです。かぁ岡様、へんな娘さんに引き舞わされてますョ


八代海にある長島は潮の流れが早く川の様です。

大人たちは日本で、世界で3番目の早さとはっきりしない話しをしてました。

日に二回、その流れの早い海を白いものが、グルグルと回りながら、東シナ海へと、八代海にと。

世間知らずの私は、その白いものが、ぐるぐる回りながら泳ぐ、魚と、いい年まで思っていました。

小学校4年生では、イルカ と言う単語を教えてもらっていませんでした。

イルカは泳いで、朝は東シナ海へ、夕方は八代海に泳いでいたのです。

春は桜の咲く、夏は浜木綿の咲く、田尻小学校の校庭から見ていました。

もう私の目に焼きついています。

そのイルカが小魚を追い廻すと慌てた小魚が蛸のいる海岸に打ち上がる事があります。

それを見つけた火之浦住民は「イワシがあがったぞーー」と教えるのです。

皆、手に手にテゴを持ち海岸に走るのです。

このイワシをオビキ橙の汁で三倍酢で食べると、もう鮪の比ではないのです。

一人で蛸とりしてると、突然その光景にぶち当たることがあります。

私は途方にくれながらもイワシを両手ですくい服のポケットに詰め込んだ記憶があります。

タコ、枇杷、そして幸先生が送ってくれた熊本のデコポン、この三つの偽物は買いません。

へんな娘さんの脳みそは複雑で多岐に渡り。。。言葉の宝箱です。

私の好きな近江八幡まで、私以上に知り尽くしてることに驚きました。

紙のお導きでしょうか?

長生きしてみるものですね。

26日は断ち鋏を忘れずに起こしください。

以前とは一変して印刷機がゴウゴウ動きます。耳栓を忘れずに。



海文舎
  火ノ浦ひの久雄さま
おててと称していただくには節くれだってごつごつしておるおててではありますが、できんとですか。

あよ~。
と、ひのさま(かってにひのさまと呼ぶことにいたしました、よ。結壽女は勝手なものですのでね。)お生まれの長島からフェリーで45分、お向かいの牛深では、あら~、が、あよ~、ださうですが、長島ではなんとおっしゃいましたか?
もそっと上の五島列島では「およ~」のようですが。
じゅじゅだまは貴舎の精鋭に。。。
とな。おじゃまいたした貴舎にはつんつんとんがったおかたはおひとりもおられず、ひょうげたひのさま店長とてするどさとは対局のお方のやうでしたが、そこまでおっしゃいますならごつごつの、ほんたうは千もあるけれど二本きりしか人さまには見えておらないちりめんじゃこのおてては引っ込めておりますゆえ、おじゅじゅ600のご開通、どうぞよろしゅうおたのもうします。
ところで、牛深のいいだこといえば、です。わたくしめ、お婿くんのふるさと天草にゆきましたときに、たこの真実を知って、あよ~、となったのでありんす。
関西ではたこといえば不動の明石、となりますが、実は、いまの明石のタコは牛深のタコが起源なのです、よ。

昭和38年、明石のタコは海水の異常低温で
一度死滅しちまったのだそうで、そのとき、3万7千匹のタコが天草牛深から明石に連れて
来られ、かの海流激しき明石海峡に放たれたのがいまの明石だこのご先祖でありんす。
これ、娘が牛深生まれのお婿くんに嫁がなん
だら、一生知らずに過ごしたでせうね。
明石の人達は牛深に8本足を向けて
寝られません、ね。
わたくしめは天草空港のお土産屋さんのたこのおせんべ売り場にあったせつめいしょで読みましたが、ウソだとおもったらこちら、牛深水産さんのホームページにもありんす。https://ushibukasuisan.com/2018%E2%88%925%E2%88%92takokaikin/
さて、ここで、驚いてくださいましね。
長島ではなんて驚きますか?

嗚呼、わたくしめも川柳つくらんと、また
ひょうげへんメールを返してしまひました。
あよ~、の、あよ~です。

ロボットてなづけてしゅじゅつから
無事ご生還のあかつきには、
かぁおかさんにもご上洛ねがって
先斗町あたりで派手に祝杯といきましょう。
お酒のアテはもちろん牛深のいいだこ。芸者さんあげる予算はありませんので、わたくへん結壽女が古着で仕入れたお着物召して、世にもおとろしげなしなを作っておもてなしいたしんす、よ。
   牛深蛸はまだ食べたことない
          へん結壽女

      
今夜はもう寝ます。23時です。読み返しができません。誤字は自分で直してください。
明日はヤフオクの発送が大変です。

追伸


頭の荒熱を取ってからと思いながら、一日一度の甘いノンカフェを飲みながら↑を見てたら思い出しました。
長島を流れる海には小骨の多い多い魚がよく獲れました。
フエリーがまだ本島と行き来きしたとき、船の上からよく見ました。
船と競争してる様でした。
親戚の家に行くと必ずその魚の煮つけがありました。
もう小骨だらけで子供が食べるには一苦労で、嫌でした。
飛び魚です。
竹細工をしてた母親の爺様の家は特によくでました。
幼馴染のたみが同級会をと言ってますが。。。この私の有様を何とかしなくては。
もう昔の大好きな流行歌も聴きましたので、アリアさんの周五郎の朗読を聴きながら寝ます。

昨日、ヨレヨレと市内に出ました。

市内歩きは疲れます。


時々店長日記で紹介してるお店です。

刷毛、束子、庭箒等が揃ってます。

庭箒はいいですよ。日本(和歌山の竹林)から厳選された竹笹を使ってます。

2,3回掃いたらバラバラになる400円のホームセンターのとは大違いです。

値段も良い値です。

初めて買った時は2,000円でしたが現在は4,000円です。

。。。女王が贈り物に出来るいい物と京都新聞の夕刊で言ってました。

皆さんは豆色五屋が売ってるのではと勘違いされてるかも知れませんね。

豆色五屋の五色豆は京都一番!旨い豆です。

豆豆同士で豆の話しをしようと、豆。。。と言った途端!

「あんた!そんなことも知らんで買いにきたのか!」

芯からの京都人です。

回り廻って豆色五屋の封筒の印刷が海文舎に舞い込んできました。

何の変化も工夫もない封筒でした。

しかし!五色豆は、悔しいけど旨いのです!

何かあると買って送ることもあります。

お隣の看板のないお店のお上さんは豆色五屋の「。。ば。。ぁ」とは大違いで

笑顔がいいのです!

看板なんか要りません。

江戸時代の終わり頃からのお店です。

竜馬が呑気に、すき焼きを喰ってる最中に切られえた場所から80m程のお店です。


もう目が限界です。何を書いてるのか分かりません。

本番はこの先です。

すこし寝ます。
まぁ~~このヘンな娘さん!!

私の行く処行く処ついて来ますね。

大和郡山は親友のM君が高専に数年、大検の為に過した処です。

彼を破滅に追い込んだ?責任上訪ねない訳にはいかなかったのです。

どこもかしこも金魚畑!!でした。

筋肉金魚の布地は8年程前見つけて物です。

もう存在してないでしょう。

やっとヒノメヲの時代がきました。




海文舎
 ひのさま

頭がたこたこで埋め尽くされ、すっかりうっちゃっておりました。

筋トレ金魚たぁ、またおもしろげな布切れがありんすね。

娘が大和郡山に住んでおりんしたときに、訪ねては、よう、金魚田の畦道を散歩しました。

ちっちゃい赤いのんの田んぼ、出目金ばかりの田んぼ、ちと育って値の張りそうなぶちの田んぼ。

でもって、ときに畦道の脇の水路に、赤いのんがさっと過るんでありんす。
大門ならぬ水門を抜けたか、はたまた密かなる筋トレの挙句、稀なる反りでジャンプして畔を越えたのかわかりんせん。

たくさんの群れの中には、鉄アレイやらバーベルやら挙げておるのがおったのやもしれませんや、残念ながら見逃しておりんした。

にしてもあの布切れでなにを作ろうと思うたのか。もう、海文舎の豆本の装丁になるしかありんせんでしたね。


   大和郡山の金魚田の北には
    遊郭街がありんしたよの
          へん結壽女

孫娘二人が家内に「お手玉」作ってとメールがありました。

家内は沢山ある布地を荒探しして「どれもじじくさい色ばっかり!!」

仕方ないので今日昼から痛重い腰を上げて「ノムラテーラ」さんへ行きました。

上の子にはブルー系、下の子にはピンク系の色の布を買いました。

ついでにガレージ店用の安い端切れを買いました。


ドラえもんは宣伝用です。売っては違反です。

リトルマーメイドが160円で買えました。

市内は東南アジア系の観光客が中心です。

季節に因って京都に訪れる国が違っています。

靴屋さんに多くの観光客さんが入っていました。

そう言えば韓国ドラマで良く目にするシーンがあります。

想う人に靴を買ってあげる場面が必ず有ると思いませんか?
(国東半島の姉さんそう思いませんか?)

日本のドラマ、映画ではそんなに観ないです。

とても微笑ましい決定的なシーンです。

下駄の紐が切れてつげるシーンは日本映画にありましたね。

それから秀吉が草鞋を。。。

私は靴をプレゼントした記憶は残念ながらありません。

京都三条通りで鯛焼きを買いたかったのですが、並ぶのが苦手です。

しかし 日に日に体力が落ちてます。酔っ払いの様な歩き方です。情けない歩き方です。

手術まであと1ヶ月、体力を付けておかないと、10日間も入院したら歩けないようになるかもしれません。

座ってばかりの毎日です。

来週から忙しくなります。

立ち仕事が増えます。



明日、明後日はガレージ店用の「小倉百人一首」豆本作りです。

雪見は雪が多すぎて諦めました。

愚痴ばかりの店長でした。
海文舎
 火ノ浦久雄さま

アヒルさんの反乱、肝を冷やされましたね。うん十年振りのよき運気、と浮かれていると足許掬われますから気をつけてね、とぐわぐわアヒルさんが教えてくれたとお思いになるとよろしいかと思います。

小難をなんとかやり過ごし、大難を躱してゆくとよい、と辰年へんむすめはお龍さまに耳打ちされました。

ロボットに袖の下わたさなくとも、アヒルが難をぐわぐわと呑んでしまったことにすれば、万事うまく運びます。

それでも念の為、と思われれば、まわし者ではありんせんが、自転車がぎぃぎぃいうたときにしゅ、っとやる、黒い蓋に赤い缶のくれ556でもさしあげておけば、円滑ごきげんに動いてくれるでしょう。でももししゅじゅちゅ台の上でロボットぎぃぎぃ音がほんとに聞こえたらあぶないあばない、麻酔を打たれる前に残れるちから振り絞り、逃げてくださいね。

と、聞いてます観てますしっかり見張っていますよ。
5年ものじゅじゅだま、かっちかちなのですね。こんど舎に錐持参でおじゃまして、じゅじゅだま穴あけの弟子になります。もしも穴あけはむずかしゅうて、その技習得に5年かかりますわい素人のむすめさんに任せたらじゅじゅこわれるといふことなら、中の具ほじほじの仕方ををご教授ください。5/600個ほど?!は地道にお手伝いさせていただきます。

隕石しょうとつ、現実味を帯びてきましたね。
でも、栞になったときには中味ほじほじしてあるのですよね。いったいどこを食したらよいのか。。。
なので、お庭にばら撒いたじゅじゅだまが実るころ、しゅうかくのお手伝いに参じますので、中味ありのじゅじゅだまもすこおしお分けくださいね。

近江能登川の雪を写真で拝見しておりましたら、瀬戸内、きょうの陽光が射してまいりました。
きょうも朝、来ましたよ。

     
    辰年うまれのへん結壽女


念の為に ↓↓↓反乱を起こしたロボットに抵抗出来る体力⇔ツクリを!




追伸 →→辰年うまれのへん結壽女 さま

瀬戸内海の ちりめんじゃこみたいな、白魚みたいな,リトルマーメイドみたいな おててでは数珠玉はできんと。

八代海の牛深のいいだこをこちょこちょと掘り出すみたいにはいかんとぞ!

いいだこの。。。。いやいや。。数珠玉の開通式は海文舎の精鋭にまかせなさい。

ちりめんじゃこの指が600本あってもむりじゃっと!

そんな暇があったら日本のれきしにのこる川柳をつくりなされ!

できたあかつきには、酒でも。。。(まだ歓ぶのははやいです。ロボットに勝ったら。。。今はストップされてます)

かしこくなろう!とちかったさくやのやさきにへんなでんせんびょうに。。。



このヒヤシンスの親、先ず、太陽エネルギーを多く受ける為に葉っぱを大きく育ててるそうです。

ので、小さな蕾にも財産を渡せるように栄養剤をポタリ。


雪見でもと中学3年のクラスメートに久し振りにラインメールしたら







モノクロ写真かと思うほどの雪です。能登川の雪です。

朝の店長日記の写真も能登川ですが、村田君はインスタやってるので、やはり撮り方がはっきり違います。

「マジックまだやってるの?」と3年2組の時のマドンナ的存在だった同級生に聞いたら、とてもあの頃の彼女では

ありませんでした。

旦那様と二人で東近江市の施設等でマジックを披露してるようです。

沢山の写真が送られてきました。

皆さん、この年になると社会貢献してるんだなと感じました。

私と言えば社会から捥ぎ取ることしか考えてない事に気がつきました。

だからいつまでも。。。

夫婦仲良くマジックショーやってる姿!かっこいいね!。とメール返しました。

本当にそう感じました。

毎晩 バカの事ばかり書いてる自分とは大違いです。


能登川中学校の三年2組の友人の村田君インスタからぱくりました(了解の返事が遅いので。。。)

能登川に9年間居ました

昔は毎年こんな感じでした。水道管が破裂して。。。朝が大変でした。

大きな氷柱も圧巻でした。

京都伏見は風が冷たいですが、雪も氷柱もありません。

沈丁花が、待ちきれないのか少し蕾みを大きくしました。



水仙は気楽に笑ってます。



近江面白そうですね! シロップ持ってツララでもなめに行きたいですね。
昨夜はアホな事を書いてたらばちが当たりました。

ヤフオクの落札商品の一つを紛失したのです、と言うより、よくよく考えたら。。。。

私は間違って送る事はあっても失くす事は一度もありませんでした。

「アヒルのストラップ」のアヒルが勝手に

「私も無人ガレージ豆本店で働きたい」!!そうに違いありません。

先方さんにお詫びのメールを入れ、倍返しで承知してもらいました。

「アヒル」を探していたら「数珠玉」が出てきました!!

それも大量の、鹿児島産です。5年物です。

5年物の数珠玉を加工するのは大変です。

固くて!固くて!小さな穴を開けて中の具を取り出すのが一苦労です。

聞いてますか?観てますか?見張っていますか?ヘンな辰年お生まれの娘さん(笑)

しかし 数珠玉の付いた「川柳」豆本、一味も二味も違ってきますョ

2冊で600個の数珠玉!隕石が落ちてきても重要な食料に変身しますョ

この春に数珠玉を我が家の底園にばら撒きます。

この連休から春休みに向けて「小倉百人一首」豆本を作り貯めしようと思ってます。

ヤフオクの半額の値段で子供達に行き渡るようにしたいと考えてます。
(無人ガレージ店での販売です)

30日入院で31日手術です。約10日間の入院です。

もしロボットが手術中にショートして切り切りざまれたら。。。

丁度、我が家の桜が満開になる頃退院できればいいのですが。。。

ロボットによろしく!と何がしか包んだほうがいいでしょうか(笑)

痛み止めがやっと効いてきましたが眠くなってきました。

伊東ゆかりさんの話 国東半島の姉さんが笑ってくれました。

国東半島では サトウキビを「甘キビ」と言うそうです。

もう寝ます。字の間違いがあったらすみません。
以前何処かで書いたような気がします。

今日の店長日記で3人が↑4人に。。。いやいや3人が↓2人になるやも知れません。

そんな事はどうでもいいのです。

滋賀県立八幡工業高校機械科を追い出されるように卒業させてもらい名古屋に正確には大府の会社に就職しました。

何回目の給料で或る歌手のワンマンショーのチケットを手に入れました。

当時流行のカセットレコーダーも何回目の給料で買いワンマンショーの現場に持ち込みました。
(当時の給料の1ヶ月分でした)

これを書きながら。。。長くなりそう。。。 かぉおかさんに長すぎる!お前の足の様に短く!!とメールが飛んで着そう。


名古屋の中心部でそのワンマンショーはありました。

デパートの花屋さんで花を買いました、勿論彼女の為です。

高校卒業間無しの青年の指定席は遥か中段の中段でした。

カセットレコーダの重みで敗れそうな紙袋に小さな花束を入れて開幕を待ちました。

彼女と、彼女のワンマンショーを盛り上げるべき前歌歌手が舞台に登場しました。

あっと言う間もなく舞台中央の彼女の前には人だかり。

皆手に手に彼女に渡すべき花束が。。。。

透明のセロハンに包まれたきれいな花束!!

青年は穴を掘りたい気持ちに襲われました。

嗚呼、、、、どうしよう、、、、

と思った瞬間!破れかけた紙袋から1本の花を抜き取り青年は駆け降りていました。

昭和で良かったです。江戸時代なら一刀両断にされ中段の階段に引っかかっていたかも。。。

青年は舞台の端からぬ~~と一輪の花を差し出しました。

舞台の端に居た前歌歌手が寄って来て 私に!!

青年は無言で ウン と頷きました。嗚呼~~~(ちゃうちゃう、そうじゃない!)

前歌歌手は大人の世界を嫌と言うほど知ってました。

「星を見ないで」を歌いだした、本命の歌手は1本の花を持って歌っていました。

200円~300円の、短い数本の花束でしたので、今思うには、あれは。。。仏壇花では!?

ワンマンショーの帰りにデパートのレコード店に立ち寄りました。

そこに彼女のレコードも売られてました。

青年にはもう新品の彼女のレコードを買うお金はありませんでした。

特売所で彼女の古い、使い擦り切れた、少しよれたものが100円で売られていました。


私の机の上には6枚の彼女のレコードがあります。

いつでも聞けると。。。もう半世紀になっています。

あと17,8年の内、先ずレコードプレイヤーを買い、そして彼女を聴くのを楽しみにしてます。

たまには後向きになってドアを開けてみるのもいいのでは。


追伸 今思い出しました!!当時ジュークボックスと言う物が喫茶店等に置かれてました。

何がしかのコインを入れるとレコードが聴けました。

そこで、歌手の彼女もこき使われていました。

コーナンで一鉢657円で買ったヒヤシンス。(657の数字は私の高校陸上の背番号でした)

3球根がひしめき合っていました。

根が多少千切れるのは、ヒヤシンスに我慢してもらい

3この100円の入れ物で。。。1個は△フラスコでした。

△フラスコのが一番早く咲き終わり、もう我が家の日本低園に埋めました。

残りの2つはご覧の通り




すこし外が気になるのか、厚い葉の横から蕾みを覗かしています。




2ヶ月振りに来た血尿もやっと終わったかなと思っていたら、今度は腰痛!

痛み止めも効かない日々でした。

ようやく人並みに歩けるようになりました。

で、雪山でも。。。雪景色でも。。。と地元の人にすれば馬鹿げた企みを。。。

で、 メールで確認しようと思うのですが。。。最新のスマホを持つ親友は。。。か?字を知らないのか?。。。

たまに戻って来るメールは 了解 了解  いつも大笑いするしかありません。ホンマニ

しかし 寒いです。

今年の2月は28日まで。

10年前の2月の海文舎の口癖は「学校を燃やしに。。。」学校さえ無ければ。。。忙しい日々でした。

雪山を。。。。雪景色を。。。なんて言ってたら、下手な猟師さんの流れ弾が命中しそうです。