店長のお散歩日記

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昨年も見た桐の木です。花が咲いてます。木の手っぺんが有りません!昨年、この木のてっぺん近くに
カラスが巣を造りました。で、木のてっぺんが巣ごと切られたのでしょう。




綺麗な紫色です。


龍谷大学横に道を挟んで砂川小学校があります。毎年咲いてる「ナンジャモンジャ」の花です。
昨年より1週間遅れの満開です。稲荷大社にもありますがまだ咲いてません。







ここから「娘さん便り」です。











追伸 弊社の手作り職人の4番バッタ-が、山にシバ刈に行きました。お昼時におにぎりを食べようと弁当箱を
開いた途端、おむすびが転げ落ちてしまいそれを追った4番バッタ-も転げ落ちてしまい、肩の骨を折りました。
一時はどうなるものかと心配しましたが、私より20歳の若い4番バッタ-!回復が思った以上に早くぼちぼち
と手作りを再開してくれています。
売れ筋の商品が揃い次第「無人ガレ-ジ店」を開店します。




つらつら椿です。この絵札は「平福百穂」画伯の作です。


「奈良県立万葉文化館」でもお買い求め出来ます。


この絵札は「平福百穂」画伯の作です。




この絵札は「野田九浦」画伯の作です。




この絵札は「安田靭彦」画伯の作です。




この絵札は「野田九浦」画伯の作です。


商品案内

・少し買って。。長く買って。。

・昭和2年に(株)主婦の友社が
関東大震災復興記念に読者向けに売り出した
「万葉百首絵歌留多」を上豆本に復刻したものです
(絵歌留多は手刷りで絵は木版画によるものです)
・絵札は、 安田靫彦 画伯 前田青邨 画伯
小林古径 画伯 野田九浦 画伯 平福百穂 画伯
・書は仮名文字「尾上柴舟」博士によるものです。
・百歌は斉藤茂吉と当時の10歌人と
雑誌「主婦之友」の読者投票で選ばれました
・1首が見開きで2ペ-ジです。見返しを含めて208頁です。
・本の大きさは、ヨコ約7,5cm。タテ約9cm。(80%)

・第一巻から9首 ・第二巻から8首
・第三巻から16首 ・第四巻から3首 ・第五巻から4首

・第六巻から7首 ・第八巻から16首 ・第九巻から3首
・第十巻から14首 ・第十三巻から 1首 ・第十四巻から6首

・第十六巻から1首 第十八巻から2首
・第十九巻から4首 ・第二十巻から3首 選ばれています。

・丸背の上製本仕上げです。(手製本です。)
発送方法
・郵便「クリックポスト便」
(大きくてかさばる物の同梱は出来ません)
・豆本の作り方は海文舎のHPをご覧ください。
・いい出会いがありますように。




















































午前中にプログラムが納品出来たとの連絡を受け、安心しました。
夕方から京都駅前の手芸屋に行きました。
もの凄い観光客の多さに驚きました。
こんな日がいつまで続くのかと。。。一瞬不安に襲われました。
平和な世界で、人々が大勢集うのは心から嬉しいと感じるが。。。
世界は、今はそうでは無い。。。
旬の画像を沢山お預かりしてます。過ぎたら意味がありませんので、今日はまとめて「福島県」です。

先ずは「柳沼豆腐店」の女将さんからのライン画像です。














次は「熊さん」便りです。









明日は今年最初のプログラム納品日です。西京極・たけびしスタジアムへの納品です。
私はもう年で行けません。若い者が行きます。
しかし会社で待機です。



笑い転げながら琵琶湖疏水を見たら、新顔の鴨たちが。。。琵琶湖疏水も賑やかになってきました。
ツバメも戻ってきました。


水面に近くの景色が入り込んでます。

18時半過ぎに戻ってガレ-ジ店を見たら「万葉集絵歌留多」豆本が売れてました。
今、京都四条界隈で流行ってる「おむすび」柄の表紙で包んだ豆本が!!
洒落で作ったものでした。
ガレ-ジ店で一番高い値のものが。。。流石151円が効いてるな!と世界を実感しました(笑い)





今でも時々「NHK歌の日曜散歩=坪郷さん司会された」録音テ-プを探し出しては聴いてます。
以前は「ガレ-ジ店」の裏で録音を流しては時期もありました。
今は海外の方が多く流してません。

日本で一番声の綺麗な、歯切れのいいアナウンサ-と全国のリスナ-に大変な人気でした。
型にはまらない、とてもNHKのラジオ番組とは思えない、冗談洒落の通じる坪郷さんでした。
毎、週日曜日が楽しみの日々が続きました。

坪郷さんが番組を去られてからラジオを聴かなくなりました。
好き嫌いの激しい私です。




三椏は万札の原料です。その90%ちかくがネパ-ルから輸入されてます。








ミツマタの写真を鹿児島・出水の山ガ-ルに転送しましたら こんな返事が。


「大川内」は鹿児島川内の近くです。
わたしの親戚も居ます。子供の頃両親に連れられ大川内の川温泉に入りました。懐かしいです。
♪ 海を渡って来た
  一人ぼっちで来た
  望み捨てるなリル
  上海帰りのリル リル

殆ど死語の世界の歌謡曲です。

 今朝 ガレ-ジ店と道路を掃除してたら
 私の横を通り過ぎて、また戻ってきた娘さんです。
 ご近所の娘さんにしては念の入った髪の色だなぁ~と。

 オモシロイ! おもしろい!とたどたどしい日本語。
 (どこから?)
  上海!
  おおお~~中国も変わった!

  写真でははっきりしませんがカラフルな髪でした。
  アジア系(日本人を含めて)の観光客はあまりガレ-ジ店を見てくれない。
  今日は朝から色々忙しい一日でした。

今日、黒糖を頂戴しました。
ありがとうございます。
もう半分も食べてしまってます。止まりません!笑い

黒糖やサトウキビには、もう、沢山の思い出があります。お陰さまで思い出して書いてます。

私の生まれた 鹿児島県出水郡の長島でもサトウキビが僅かながらも作られてました。
記憶では、この時分に切り取ら黒糖工場に運ばれます。

小学校3,4年生の頃(鹿児島)仲間とサトウキビを積んだトラックを待ち構えていました。
車が見えたら後ろから追いかけるのです。
そしたら、荷台の上のおじさんがサトウキビを2,3本投げて呉れるのです。
口の両端が赤く成る程、歯でサトウキビの皮を剝いて中身をしゃぶるのです。
甘い物が少ない時代の、子供のおやつでした。

小学校4年の2学期まで長島の田尻小学校に通いました。
或る日 クラスの みどり が麦飯の弁当箱に黒糖を入れてきました。
それを見つけた 広美(男)がらかいました。
みどりは泣きながら竹林を走り帰ってしまいました。
今か思うと、麦飯に黒糖 いいと思うのですが。。
大概の麦飯の弁当のおかずは黄色い漬物でした。
黒糖なんて入れてもらえませんでした。

一昨年亡くなった母親は「だご」(だんご)をよく作ってくれました。
黒糖をお湯で溶かして だご にまぶしてくれました。
黒糖は母親の味でもありました。

私には5人子供がいます。一人、二人気の弱いのが、小学生の時、いじめ、不登校、不登校、いじめの
繰り返しの日々が続きました。
そんな彼を連れて沖縄の下の下の 波照間 に行きました。
石垣島から高速船で行きました。
船付き場から海を目指して強い夏の日光の中を歩きました。
まだ私の背を僅かに越す位のサトウキビ畑のわき道を歩きました。
濃い緑のサトウキビ畑の先に見えた 青い!青い!海!忘れられない海です。

時々、仕事の合間にその話を息子と話します。



高血圧にいいようです。残り僅かになってしまいました(笑い)おしまい。



























私は昨日 お昼2時頃から夕方まで近江の桜を見にいきました。
予定のない行動でした。
まっさらに咲く桜に出合いました。
一片の花弁も落ちてない”桜”
こんな経験は初めです。













我が家の鉢植え桜も五分咲きです。
長男と どっちが顔かな~~?と言いながらガレ-ジ店先に移動させました。
雛飾りも今年は今日で終りです。

明日、明後日と全国的に桜の見頃でしょう。いっぱいの人でしょう。
今年はもう万葉の里も、甘樫丘も諦めました。
プログラム制作も控えてるし、体調もイマイチ。
気が向いたら桜の花の蕊でも見に行きます。