2021年1月

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「万葉集名歌100選絵歌留多」をこの令和に⇔豆本(上製本)で復刻 ◎オールカラー200頁 ◎京都手作りお散歩
ネットのニュース画像に

ヒヨドリが栴檀の実を食べてるのが

あった。

初夏に栴檀は 淡紫色の花を咲かせる。

日本の伝統色にも指定されてる。

DICの998番の棟(おうち)色である。

鹿児島に居た時 麦畑と小さな川の

境目の土手の上にひょろっと、栴檀の木が

立っていた。

微かな、特徴あるにおいがしてた。

冬になると実が熟し、更に皮が剝け

まるでさらし首のようにぶら下がり

鳥が何所かに持って往くのを待っている。

何年経っても忘れられない

栴檀の木とにおいと、実だ。

火ノ浦久雄
◎手作り日記帖 ”春の段々畑” ◎京都手作りお散歩
もう手書きの日記帖など

この時代 死語かも?と

思いつつ、わくわくされてしまう生地に

出会うと作ってしまう。

鹿児島の麦畑かしら?

湖北(琵琶湖)の?

あれは。。。

一筋の 村 凍でし 湖北かな

だったかな?

右半分は、蒲生からみた

鈴鹿山系かも?

年には勝てないと、小学校の

おなご先生が小さな声で
(いつもかわいい小さな声)

電話口で言われた。

本当かもしれない。

そして時代にも勝てない。

火ノ浦久雄
”桜” その気にさせる⇔1日6行簡単日記帖 ◎ほぼB6判 184頁 ◎京都手作りお散歩
京都四条通りの布地店

ノムラテーラで買い求めたもので、

店内でもロングセラーの一つかもしれない。

ちりめん(化繊)。

色は3種ほどあるが、これが1番人気かも?

季節を追いながら手作りしてるが

年と共に追いつけなくなってしまう。

店内も海外の旅行客に合わせて来た為か

日本人には不思議に思える

布地が、まだ、あちらこちらに。

さて 次はひな祭り。

果たして上手く生地に辿り着けるか?


火ノ浦久雄
◎◎ ふくはうち
絵手紙が舞い込みました。

雪景色の63円切手が貼られてます。

その切り端が 住所と手紙文とを

分けるように仕切りに貼ってあります。

南会津は言うまでもなく大雪です。

現在 2,3mの積雪と。

屋根から落ちてきた雪が家の回りに

2mほど積もり囲いが出来てるそうです。

確か 昨年は殆ど雪が無いと

絵手書が届いていました。

あと一月は辛抱せねばならないでしょうね。

絵手紙の豆を見て これ位大きな豆ならば

鬼もコロナも退治出来るでしょう。


火ノ浦久雄
◎手作り”納豆” の 手作り絵手紙 ~~福島県二本松市~~
毎年 暑中葉書と年賀状に

好きな絵を描かれて

送られてきます。

今年は寒中見舞いとして

とどきました。

数年前、本物の”納豆”が大量の

野菜と一緒に送られてきました。

藁を剝くと、プン-と鼻を突き抜く

猫の小便のような匂い。

藁納豆は直線で、近江の鮒寿司は

顔全体を包みこむように鼻を突く。

しかし どちらも慣れれば大人の

味です。

「鹿児島生まれの私ですが
納豆も鮒寿司は好きで
食べられます」と投稿したら

「火ノ浦さんの鼻は鈍感ですね」
と小百合さんに褒めれた。


火ノ浦久雄

2011年晩秋
NHK「歌の日曜散歩」が
福島県で生放送で開催
されました。
「故郷の味、我が家の料理」
に、里芋のコロッケを手作り
されたお母さん作の絵手紙です。
朝飯かわりに食べようと
最前列に並びました。
折角のコロッケが冷たくなって
しまったのが残念でした。
◎京都タワ-が見える場所まで散歩
例年 幕の内までは

伏見稲荷大社、東福寺に向う

人や車で、本町通りは混雑を

極めてるが、今年は閑散としてる。

ゆっくりと、ヨタヨタと25分ほど

東福寺近辺まで歩き

本町通りから、東の山手に

上がると京都タワ-が、小さくでは

あるがはっきり見える。


火ノ浦久雄
◎山本周五太郎 作 『コロナ床屋』
 第1回 第1章

もはや これまでかと

海之助は腹を決めた。

イグサ畳を裏返し 目を閉じ坐りこんだ。

---父上 私が介錯いたします---

おぉー倅か 世話をかけてすまぬがたのむ。

左手に電動バリカン、そして右手に

100均切りバサミ。

手際よくばっさばっさと刈り込む倅

~なかなか手馴れたものじゃのう~

---お褒めのお言葉うれしゅうございます。

実は介錯のまえに、Youtubeなるもので

下調べをしてまいりました。父上完成です---

おお~さっぱりした。これで外に出れる。

>父上 すこしお待ちを>

どうした娘

<兄上様には申し分けなく存知ますが。。

その頭では、世間様に、ご近所様の。。>

どうしたと言うのじゃ。ゆうてみい。

<それは酒に悪酔いしたトラ刈り。。

いや コロナ刈りでございます。

どうかこの帽子をお召しください>

そうか、愛分かった。


火ノ浦久雄 訳
◎イナバウァーと仙台国際センタ駅のお二人の勇姿
思いがけない切っ掛けで

現在の豆本が完成したのが

この「イナバウァー」と重なる。

3,5cm×4cm200頁の豆本を

どう表現して世に出すか、思い悩む日日が

あった。(ちょいとオーバー)

小さい本だけど、ノドまで180度開いて

書き込めるのだが。。。

「潰れたら返品可能」と説明書きしたから

もう後には引けない。

刹那!2006年トリノオリンピツクで

荒川静香さんが教えてくれた。

やってくれた!!

「イナバウァー」!これだ!

「イナバウァー出来る豆本」。

たちまち!と言うほどでもないが

徐々に売れていきだした。

イナバウァー様様、荒川静香様様

そんな恩恵を受けながら

荒川静香さんのことは殆ど知らなかった。

今は日本国民全員が知る、好青年

羽生結弦 君(君呼びしたらファンから拳骨かな?)

と同じ仙台に深い繋がりがあることが

分かった。

写真は、仙台地下鉄東西線の

国際センター駅前。

羽生君の勇姿は二つ並んでいるので

分かるが、イナバウァーしてる

荒川静香さんは分かりにくいかも

しれない。
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明日中り、写真の送り主から、
羽生結弦君の大大ファンから、
拳骨が山ほど飛んでくる矢も
知れない!!
一発二初発命中すれば
耳鳴りも、ぼやけた脳みそも
ぼやけた目も治るかも!?

火ノ浦久雄
***大分県・国東半島の雪景色***
日本海側はかなりの雪が

降ってるようだ。

大分県国東半島の友人からも

写メが届いた。

京都の我が家は、仕事場の

窓際に座って手作りをしてると

大きな窓から謝しこむ太陽を

一人占めして、真夏の陽気だ。

北国、雪国にみなさんにもうしわけない。


火ノ浦久雄

かなりの大邸宅?
それともお隣の日本庭園?
◎さむ~~
夕方散歩していたら、前から

自転車に乗ったお母さんと子供さんが

向ってきた。

~いま冷蔵庫の中にいるのとおなじよ~

夜になると冷凍庫になるんだよ~

と話しながら走り去った。

ほんまに寒い!

この寒さが京都の底冷えだ

そんな中

暖かくなる写メを頂いた。

散歩の途中で見かけた

葉牡丹の花壇らしです。

見事な調和。


火ノ浦久雄
◎足利義満君もびっくり!! ピンピカやんけ!
鹿苑寺が18年振りに一新。
こけら板を約10万枚ふき替えて
ピンピカになりました。
コロナ野郎も近づけない眩しさ。
いい日がきましたら
いまいちど おこしやすドス。
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豆のーとストラップです。
2cm×2,2cm100頁



火ノ浦久雄

京都は雪こそ降りませんが、
本性を現しだしました。
◎仙台駅
向田邦子さんのお父さんが仙台に

転勤になったが、向田さんは東京の祖母の家で

弟と暮らし、東京で通学していた。

夏休みと冬休みだけ仙台の両親の許へ

帰っていた。

当時東京は極度の食糧不足。

たまに帰省すると別天地のように

仙台は豊かであった。とエッセイ集

「父の詫び状」に載せられてる。

向田さんが東京と仙台を行き来したのは

「啼くな小鳩よ」いう歌が流行ってた頃だから

昭和22年、23年だ。

UPしてる仙台駅の写真は

昭和34年~50年頃と思われる。

東北新幹線の話が上がる前だ。

この写真を呉れたご本人がまだ

昭和の女学生の頃だろう。

自分が初めて仙台駅に降り立ったのは

2011年の晩秋。

駅弁を買い、東北新幹線に乗り込んだのは

もう夕方だった。

青森まで向った。

車窓から見えるのは街の光りだけ。

それも2,30分のすると、ほとんど街の

光りが見えなくなってきた。

震災の影響か?

楽しみの駅弁の味も忘れる

夜行列車になった。


火ノ浦久雄