◎金魚仙人

海文舎
 火ノ浦久雄さま

かの金魚田の町で、ご親友を
破滅に追い込まれた?と。。。
なにをもって人の破滅といふのか、
どうなると人生は破綻なのか。。。
なにやらかなしひことがおありだった
のですね。
ご友人の名誉にもかかわられましょう
から、お荷物をすこしおろしたくなられ
ましたなら、お散歩途中、オフレコ、守秘義務厳守でお伺いいたしますので、ね。

あらあら、えらくまともちっく、になりましたが、ふと、ふあんになったのでありんす。こんなあんぽんたんなことばかり書いておるへんむすめの本なんぞ、だあれも
求めてくれなければどうしましょう、海を
泳ぎ渡りて、牛深まで蛸狩りにゆかねばならぬのでは?、と。

そこで一計案じ、おととしまで13年ほど
編集に携わっておりまして、いまは
いち書き手となりました川柳誌
の誌上連載から、おもしろうない一篇と
それに添えた金魚川柳一句をお届けしようと思い立ちました。いうときますけれど、
ひのさま、笑えません、からね。




「金魚仙人」

全国金魚選手権が行われる奈良県大和郡山市。娘がはじめてのひとり暮らしをはじめたのが近鉄郡山駅から南東に歩いて5分ほどの東岡町のワンルームの三階だった。南のベランダに出ると金魚田が拡がり、その間を近鉄電車が行き来する景色を親子ともども気に入った。ひとり暮らしの機会がなかった私は娘ひとりのための無駄のない空間と、高い建物もない広い空の下、田んぼで金魚がのどかに育つこの町がとても気に入った。幸い娘が合鍵をくれ、京都や大阪に出る便があると自宅に戻らず、小一時間で帰ることのできる金魚の町へ帰った。
今はしずかな城下町。アパートの南側は夜になるとほどよい闇となる。ベランダから200メートルほど先、南北に走る近鉄電車の線路は小高い丘を越える。闇の中、往来の電車が丘を登ったり下ったりする様は浮遊感を伴い、その様は銀河鉄道さながら。月など出ていればなおよし。娘が不在の時には家事雑事に追い回される自宅での日常を忘れ、ひとりだという感覚を存分に感じた。
かつて東岡町は明治政府公認の遊廓街だった。途中の経過は省くが、売春禁止法後も旅館・スタンドなどの看板を揚げ営業を続けていたという。平成元年にいわゆるフィリピンからのじゃぱゆきさんを劣悪な環境で働かせていたことで警察もついに一斉検挙となり、遊郭は消えた。建物は残っており、娘の住むアパートの通りを隔てて真北も三階建ての元遊廓。不動産屋に物件を案内された時に娘は勿論私もいきさつを全く知らなかった。後々になって庶民向けの遊廓街だった東岡町だったと知った。隣町洞泉寺町の上客向けだった豪奢な遊廓の建物は市が買い取って町家物語館として公開している。1983年当時の住宅地図にある娘のアパートのお向かいは「ホテル玉晴」。私が帰りたくなる町は欲望の町から犯罪の町となってのちに閑かになった町だった。

娘はそこに4年暮らした。向かいの三階建て石造りの少々趣のある建物ついて訊ねられたら教えようと思っていたが、なぜか最後まで訊かれることはなかった。
娘のところに泊ると翌朝の散歩が楽しみだった。南に歩けば右に左に金魚田。田の深さは40~80㎝ほど。春先には数ミリの稚魚がプランクトンのように泳いでいるが水は案外濁っていてその姿は見えないことも多い。これが成長すると金魚すくいの水槽にいる定番の赤や出目金の黒、少し大きくなって少しおたかそうなぶちなどが各田んぼで濁った水にも透けるようになる。

近鉄の線路と並行に150メートルほど南に進んで最初の踏切を西へ渡る。金魚田の畦道をさらに進む。畦道の右手は金魚田用路の小川で、時に脱走金魚の赤が過る。ほどなく左手に田んぼで育つよりもお高そうな金魚たちの飼育販売を手掛ける金魚資料館が現れる。ここの金魚は水を循環させた水槽で育つ箱入りたち。昼間行くと中を無料で見学でき、屋内では江戸時代のもの含め金魚に関する資料なども見ることができる。

館を過ぎると左手が金魚田、右側が籔になってき、やがてアスファルトの太い道に出る。アスファルトの道に出ても四方金魚田。ここを北へ折れ、線路の西側を通って郡山城址へ抜けるのがお決まりのコースになったが、散歩のメインはやはり金魚。

金魚田に惚れた最初の年の夏の朝散歩。線路を越えてすぐあたりの北側の田んぼの端で田の世話の合間に男性二人が話していた。
「去年はぎょうさん死んだなあ。」
「ああ、死んだ。よっぽど好きでないとできへんで。」
田んぼ一枚、病気でも発生すれば
たちまち、ということなのだろう。
お気楽に散歩を楽しんでいる私は
その厳しさにはっとして俯いた。

金魚の世話をしている人で印象
に残っている人が一人。資料館を越えてアスファルトの道へ出たところ、道の南東の一角のかなり広い区画に餌をやって回っているすこし腰の曲がったちいさなおじいさんがいた。一メートルほどの柄のついた網に粉末の餌を入れ、畦を歩きながらた~んた~んた~ん、と一定のリズムで柄をゆすって田んぼに餌を撒いてゆく。そのしずかになにかを達観したような様に出くわすと拝みたいような気持となり、そっと足を止めて見入った。

朝、金魚田のあたりはあまり人気がない。足を止めた何度目かのとき、おじいさんが「なんやときにじぃっと見みとる人やな」と思ったか、こちらを見て

「これ、やりまへんか? 
いまやる人がすくのうなってるさかい、市も援助してくれまっせ。土地もぎょうさんあいているし」

と言った。一瞬、言葉に詰まった。

「金魚かわいいかわいい言うてるだけで根性がないんで、とてもできません。すみません。。。」

こうべを垂れた。
わたしの弱くて脆くかっこ悪いなにか
を見透かされたのだと思った。

その後もおじいさんのた~んた~んた~んを見かけた。
話しかけられることは二度となかった。

 冬のさ中。盆地奈良の朝は凍てる。宵越しの金魚田には氷が張り、その下に赤や黒が透ける。


     いっときの賛歌まるごと金魚鉢
                     まり


    (『現代川柳』2025年1月号
     連載「とわの窓辺」より
「金魚仙人」改訂版)


といふことで、えっと、ちじめんじゃこの鳴くような声で申しますと、金魚が育つのは畑、ではなく、田んぼ、で
ありんす、よ。。。

 へんぢゃないところもちょこっとは
あるらしい無叟女茉莉亜まり