◎◎蛸獲り名人じゃっと!!

「久しゃの行った後にはタコはいっちょもおらん!」

私の鹿児島・長島でのあだ名は「タコとり名人」でした。

学校から戻ると家から100m程の近くの海へ一目散の日々でした。

貧しい家の家計に。。。いやいや、そうではなく、蛸とりは面白いのです。


またトンでもなく長くなりそうです。かぁ岡様、へんな娘さんに引き舞わされてますョ


八代海にある長島は潮の流れが早く川の様です。

大人たちは日本で、世界で3番目の早さとはっきりしない話しをしてました。

日に二回、その流れの早い海を白いものが、グルグルと回りながら、東シナ海へと、八代海にと。

世間知らずの私は、その白いものが、ぐるぐる回りながら泳ぐ、魚と、いい年まで思っていました。

小学校4年生では、イルカ と言う単語を教えてもらっていませんでした。

イルカは泳いで、朝は東シナ海へ、夕方は八代海に泳いでいたのです。

春は桜の咲く、夏は浜木綿の咲く、田尻小学校の校庭から見ていました。

もう私の目に焼きついています。

そのイルカが小魚を追い廻すと慌てた小魚が蛸のいる海岸に打ち上がる事があります。

それを見つけた火之浦住民は「イワシがあがったぞーー」と教えるのです。

皆、手に手にテゴを持ち海岸に走るのです。

このイワシをオビキ橙の汁で三倍酢で食べると、もう鮪の比ではないのです。

一人で蛸とりしてると、突然その光景にぶち当たることがあります。

私は途方にくれながらもイワシを両手ですくい服のポケットに詰め込んだ記憶があります。

タコ、枇杷、そして幸先生が送ってくれた熊本のデコポン、この三つの偽物は買いません。

へんな娘さんの脳みそは複雑で多岐に渡り。。。言葉の宝箱です。

私の好きな近江八幡まで、私以上に知り尽くしてることに驚きました。

紙のお導きでしょうか?

長生きしてみるものですね。

26日は断ち鋏を忘れずに起こしください。

以前とは一変して印刷機がゴウゴウ動きます。耳栓を忘れずに。



海文舎
  火ノ浦ひの久雄さま
おててと称していただくには節くれだってごつごつしておるおててではありますが、できんとですか。

あよ~。
と、ひのさま(かってにひのさまと呼ぶことにいたしました、よ。結壽女は勝手なものですのでね。)お生まれの長島からフェリーで45分、お向かいの牛深では、あら~、が、あよ~、ださうですが、長島ではなんとおっしゃいましたか?
もそっと上の五島列島では「およ~」のようですが。
じゅじゅだまは貴舎の精鋭に。。。
とな。おじゃまいたした貴舎にはつんつんとんがったおかたはおひとりもおられず、ひょうげたひのさま店長とてするどさとは対局のお方のやうでしたが、そこまでおっしゃいますならごつごつの、ほんたうは千もあるけれど二本きりしか人さまには見えておらないちりめんじゃこのおてては引っ込めておりますゆえ、おじゅじゅ600のご開通、どうぞよろしゅうおたのもうします。
ところで、牛深のいいだこといえば、です。わたくしめ、お婿くんのふるさと天草にゆきましたときに、たこの真実を知って、あよ~、となったのでありんす。
関西ではたこといえば不動の明石、となりますが、実は、いまの明石のタコは牛深のタコが起源なのです、よ。

昭和38年、明石のタコは海水の異常低温で
一度死滅しちまったのだそうで、そのとき、3万7千匹のタコが天草牛深から明石に連れて
来られ、かの海流激しき明石海峡に放たれたのがいまの明石だこのご先祖でありんす。
これ、娘が牛深生まれのお婿くんに嫁がなん
だら、一生知らずに過ごしたでせうね。
明石の人達は牛深に8本足を向けて
寝られません、ね。
わたくしめは天草空港のお土産屋さんのたこのおせんべ売り場にあったせつめいしょで読みましたが、ウソだとおもったらこちら、牛深水産さんのホームページにもありんす。https://ushibukasuisan.com/2018%E2%88%925%E2%88%92takokaikin/
さて、ここで、驚いてくださいましね。
長島ではなんて驚きますか?

嗚呼、わたくしめも川柳つくらんと、また
ひょうげへんメールを返してしまひました。
あよ~、の、あよ~です。

ロボットてなづけてしゅじゅつから
無事ご生還のあかつきには、
かぁおかさんにもご上洛ねがって
先斗町あたりで派手に祝杯といきましょう。
お酒のアテはもちろん牛深のいいだこ。芸者さんあげる予算はありませんので、わたくへん結壽女が古着で仕入れたお着物召して、世にもおとろしげなしなを作っておもてなしいたしんす、よ。
   牛深蛸はまだ食べたことない
          へん結壽女

      
今夜はもう寝ます。23時です。読み返しができません。誤字は自分で直してください。
明日はヤフオクの発送が大変です。

追伸


頭の荒熱を取ってからと思いながら、一日一度の甘いノンカフェを飲みながら↑を見てたら思い出しました。
長島を流れる海には小骨の多い多い魚がよく獲れました。
フエリーがまだ本島と行き来きしたとき、船の上からよく見ました。
船と競争してる様でした。
親戚の家に行くと必ずその魚の煮つけがありました。
もう小骨だらけで子供が食べるには一苦労で、嫌でした。
飛び魚です。
竹細工をしてた母親の爺様の家は特によくでました。
幼馴染のたみが同級会をと言ってますが。。。この私の有様を何とかしなくては。
もう昔の大好きな流行歌も聴きましたので、アリアさんの周五郎の朗読を聴きながら寝ます。