中村 恵 先生(旧姓)元・鹿児島県長島町立・田尻小学校のおなご先生・今年で85歳です。

恵 先生から金曜日に「短歌集」が届きました。
   (歌と水彩画を合わせて50頁ほどです。時をみて紹介します)
    



~先生、観てる人は、多美くらいで、少ないけど店長日記に載せていい?~
「いいよ、あんたの好きなようにしなさい」

恵 先生は小学校2年生の時のおなご先生でした。

田尻小学校は、当時は西側の石段を上がると校門でした。
校門からすぐに細長い教室が並んでました。

二つ目の教室が2年生、恵先生の教室でした。
廊下の窓ガラスは透明で、つま先立ちすれば流れる海が見えました。
(日本で2,3番目に潮の流れが早い海です)

恵 先生はよく紙芝居を観せてくれました。
ゴンキツネの話は、私をいまでも魅了してます。

そんな先生が病気治療の為に田尻小学校を去ることになりました。

親友の義満君と手紙を書いて先生に渡しました。

 このベンチに先生が座ってました。まるでラブレタ-でも渡すように、二人は照れて。。。

   ↑この写真は、初めての同級会を私が企て、案内状を作るために撮った写真です。1994年4月10日です。
そして、全国に散らばる同級生に、作文を頼みました。同級会で文集にして披露するためです。

文集の作文以外に、写真が必要になり再度鹿児島に行き田尻小学校やその関係者に会いました。
文集も何とか間に合い披露できました。文集のタイトルは 「海を越えて」でした。

「海文舎」 もこの校庭からきてます。

親友の義満君は8年前に茨木の北大阪警察病院(現、北大阪ほうせんか病院)で逝ってしまいました。

恵 先生に、私の初短歌(?)を往復葉書に書きました。明日投函します。
先生の添削が楽しみです。 
何か落ち着かない日日ですが、こうして書いてると気が紛れます。  火ノ浦久雄                     
追記 長島の海の流れを『万葉集』でも日本最南端で歌として、詠われています。

    隼人の 薩摩の迫門を 雲居なす 遠くもわれは 今日見つるかも 第3巻248番 長田 王

  「マンガで楽しむ古典 万葉集」 井上さやか 監修 の本の279頁に載ってます。
  また、海文舎の絵歌留多の事も、小さく318ペ-ジに載ってます。